元セントラルライナーに乗車
引越しから二週間が経過して、ようやく一息つけるようになり今日18切符を使って乗り鉄してきました。
表題の通り2013年までセントラルライナーとして運用されていた313系8000番台がお目当てでした。
JR東海の名古屋周辺では313系は溢れかえるほど走ってます。
そんな313でも特別な存在が8000番台。
1999年から2013年までは「セントラルライナー」という列車が走ってまして、320円の整理券が必要でしたが着席需要に応える列車として人気がありました。
主に名古屋から中央本線の中津川までの運用で、日中は快速列車として活躍、朝晩の通勤通学の時間帯はセントラルライナーとして運用されていました。
メインがセントラルライナーの運用だった為、他の313シリーズとは外装も内装も異なった仕様になっています。
今では中央本線の快速と普通列車の運用のみで活躍してますが、内外装共に変更はなく当時のままで頑張っています。
ですのでいわゆる「乗り得列車」ですね。
それでは写真を載せていきます。
僕も当時のセントラルライナーを感じるため、名古屋から中津川の往復乗車してきました。
僕が名古屋駅に着いた時には入線してまして、写真は復路の中津川駅で撮ったものからです。
他の313とはカラーリングが異なりオレンジの帯を纏ってます。
空調を効率的にする為左右のドアは締め切り
ここも他の313とは違いますね
この絵だと完璧に特急列車です
しなのと勘違いしそうな雰囲気
それでは内装を見ていきましょう。
シートピッチは通常の313より広いと思います。
この写真だと特急列車と言っても違和感ない出来映え
扉付近につり革があるので近郊型なんですが、何となく373のような印象があります
それでは中津川を発車!
中津川発車した時点で車内は僕一人だけでした
つり革がなければデッキないとは言えほぼ特急の雰囲気
カーテンがあったり他の313とシートの色やピッチが違いとても同じシリーズとは思えない車内
そういえば中津川発車時に対向の長野行きしなのとすれ違いました
373もデッキがない特急なのでこの仕様は東海ならでは
そしてこの8000番台といえばこの電光掲示板
扉付近には少しだけ仕切り板があります
この8000番台でのお勧め席はここ
各号車の端にあるセミコンパート席
4人での利用なら皆でお弁当食べながら旅が出来ますし、専有面積もめっちゃ大きい
そんなこんなで1時間20分ほどで名古屋に到着
折り返しの普通列車になるようです
本当に楽しい時間をありがとう
おまけ
元セントラルライナーは本当に快適でした。
名古屋を出ると徐々に田園風景が広がりのんびりした雰囲気になりますし、それに伴い乗客も少なく快適な車内空間と相まってとても居心地の良い時間でした。
そんな8000番台ですが数は少ないので運用を調べたほうが良いです。
僕が乗ったのは名古屋11:24発の快速中津川行きと、折り返し中津川12:50発の名古屋行きでした。
途中ですれ違う列車で8000番台は見なかったので当たる確率はかなり低いと思います。
なのでとりあえずは僕が乗った時間の列車に乗ってみてはいかがでしょう。
これからもこのブログはこんな感じでたまにネタが出来たら記事を書く感じになると思います。
次はいつになるかは未定ですが、お付き合い下さい。
引越ししました
前回の記事に書きましたが、今日引越しをしました。
以前働いていた職場に復帰することになり、地元関西を離れて愛知県にやってきました。その引越しを今日完了しました。
独り身なので特に大型の家具などはなく、ベッドと小さなテーブルとイスそして小物だけを持ってきました。
愛知県は名古屋が有名ですが、僕の住んでる場所はクソ田舎で今も外でカエルが大合唱していますw
空気も都会よりは良いのですが、なんせ蚊が多いのが鬱陶しい。
まあ住めば都とは上手く言ったものでこの田舎暮らしがいつまで続くかわかりませんが楽しんで暮らします。
ところで前回の記事でそのうちインドネシアの記事と書きましたが、実は一眼レフのUSBケーブルが行方不明でPCに取り込めない事態になっています。
そのうち見つけるか新たに購入して載せるつもりです。
それまでは新生活ネタなどを書けるタイミングでアップしていきます。
引越しもレンタカーで一人で行ったためかなり疲れてます。
なので今日は酒飲んで寝ます。
ちなみに関西から愛知県までレンタカーで引越ししましたが、実はここでは原付での生活となります。
で、明日また関西にレンタカーで帰り車を返却そして雨予報の日曜日に原付で関西から愛知県に再度向かうと言う非常に要領の悪い移動をします。
だいたい300Kmほどありますので、まさに
「水曜どうでしょうを自分でやる」形になりそうですw
多分14時間ほどかかりますし、雨予報なので事故らないように気を付けます。
それではおやすみなさい。
当ブログについて
最近は以前と比べて更新頻度が落ちてると思います。
実は前の職場に復帰することになり、その手続きや住居を探したり色々と時間がなかったのです。
これからは前のような時間に余裕のある生活が出来なくなるので更新の頻度は前より少ないと思いますが、旅ネタや乗り物ネタを少しづつ書いていこうと思います。
で、引越しを来週するのですがそれに伴い色々とモノを取り揃えてます。
そこで利用してるのがジモティ。
有名ですけど、確かに利用価値ありますよ!
この2年落ちの新品5300円の炊飯器が1000円で手に入りました。
今使ってるノートパソコンも13000円で手に入れました。
実家の動かなくなった電化製品やベッドフレームも0円で譲ったりしましたし、本来引き取ってもらうのにお金がかかるモノも売れませんけど自宅まで回収に来てくれたりと非常に便利で重宝してます。
電化製品や家具もたくさん出品されてますので、一度覗いてみることを勧めます。
めっちゃ便利ですし、お店で買うのがバカらしくなりますよ。
ちょっと話は逸れましたがブログの更新が今後少なくなるとは思いますが、週に2回くらいの頻度で更新をしていく予定です。
まずは数年前のアジア旅の完結をさせるつもりです。
残りはインドネシアのみですが、数日後にアップする予定です!
ミャンマー第二の都市 マンダレー
シーポーからメイミョーを経由してマンダレーにやって来ました。
メイミョーからマンダレーは乗合バンで行ったのですが、峠越えを軽トラの荷台に乗って3時間ほど移動するという日本では得られない経験が出来ました。
で、その写真は撮り忘れてますw
そしてマンダレー
第二の都市ですが、そんな大きな街ではありません。
(だからネーピドーに遷都した)
まずはエーヤワディー川の対岸にある遺跡の島を見てきました。
船乗り場、現地人の乗客が少なかった印象。
お母さんは川へ洗濯に...
21世紀に突入して十数年が経過した今、川で洗濯っすよしかもこの国第二の都市で
2019年の今もこの景色はあるのだろうか
これが対岸の島
着いた。見てこのタクシーww
ここからはひたすら建物などを
タイやカンボジアに似てる気がする
確かここが一番の見所、正直暑すぎて記憶があんまりない
とても大きく美しく圧倒されてた記憶だけど、とにかく暑くてそれどころではなかった
やっぱ気候ってめっちゃ大切と痛感
全体の景色。緑と建造物の調和が美しい。
器用な積み方
この記事1枚目の写真ね、昔の人が積んだのではなかったハズ
(説明してくれたけど、暑すぎて覚えてない)
美しい建物
地震か何かで下が埋まってるらしい
(これも忘れた、本当に暑くてただしんどいだけだった..)
景色や環境はとても良い場所
時期を選んでくるべき所ですね
ソンテウ(乗合バンでメイミョーからの移動もこれに似たやつだった)
さすがに現地人しか乗ってなかった
中心部からは15分ほどで確か50円程度
ミャンマー感満載ですわ
着いた。マンダレー市内を一望する。
高い建物など皆無で、緑が多いのが一目瞭然。
こんな感じの場所
ソンテウが入口についてからはひたすら階段を登りました
意外と観光客少なかった
帰り道を進みます
みんな暑そう
これ良い写真かな
茶トラは特に可愛い
暑いから人も猫もだれるわな
みすぼらしく左後肢が不自由な猫
誰も見向きしなかったけど、こいつも逞しく生きている
階段ばっかりの環境なのに逞しく生きている
いや本当に暑いんですよ
ごま塩模様の子
当時実家でこの模様の猫を飼ってました
2018年11月に天国に行ってしましましたけど、、
我家の子に比べると顔の小さいことw
茶トラ
茶トラの女の子って凄く珍しい
泊まってたロイヤルゲストハウス
マンダレーでは予約が難しいほど人気があるらしい
ドミトリーがなくシングルで10ドルほどでした
毎日飲んでたミャンマービールとフロントの一枚
フロント周辺
部屋の写真撮り忘れたけど、エアコンがなく扇風機のみでした
ミャンマーは経済発展が著しいので今はどんな雰囲気になってるか想像出来ません
特にヤンゴンは日本からも直行便が就航してるほどの場所になりました。
個人的に今まで20カ国ほど旅しましたが、ミャンマーは1番お気に入りの国です。
人の良さや町の雰囲気そして居心地などが本当に良かった。
交通網も発展途上で、高速道路の建設もかなり進んでいるようです。
インフラが整い、経済発展するのは良い事ですがそれは人の良さを変えてしまうのも事実です。
今年9月か10月まではノービザで行けますので、今からでも遅いくらいですが素朴で古き良きアジアが残るミャンマーに訪れてみてはいかがでしょうか。
ミャンマーの田舎町シーポー
前回の記事でシーポーにやって来ました。
この町は来たいからとか、何か目的があって訪れた訳ではありません。
前の記事にある鉄道に乗りたかったからシーポーにやって来ました。
そんなシーポーは見所がありません。
トレッキングとかあるらしいのですが、僕は当時股関節の状態が悪くそれどころじゃなかったので、自転車で周囲をふらついてるだけでした。
まあ適当に写真貼って記事書きますね。
どこか忘れたけど有名な寺院かなんか、行ったら休みでしたw
自転車で走ってたら見つけた場所、遺跡かな?
これもさっきの写真付近にあった
この辺りは無名だけどこんな建造物が多かった
カンボジアの遺跡のように木が生えてます
途中で線路をみつけた
線路周辺に子供が居たので撮らせてもらった
微かな枕木が揺れる音がした、
その数秒後に
客車列車は一日に1本らしいけど、貨物列車もあったとは
列車が通貨した後の風景
これは良い一枚かな
名前忘れたけど有名な寺院
その後自転車でツーリングしてるとこんな場所に出くわした
多分昔はここに鉄道が走ってたのだろう
橋を眺めてると地元の子供が近づいてきた
その後自転車を漕ぎながら丘を登っていった
夕焼けが綺麗な場所らしく行ってみた
けっこう暑かった、ワンコも休憩
ツーリストも現地人も見に来てた
いいね
うん、精悍
この記事の一枚目の写真、これいいでしょ
若いっていいな
日が沈む
まん丸い太陽
めっちゃ絵になるやん
さようなら太陽、また明日ね
これでシーポーの記事は終わり。
特に見所ないですし、立地的に行くのが難しい場所です。
ただミャンマー人は人が良いのですが、この町はさらに良い人が多かった印象です。多分ツーリストが少ないからいわゆる「擦れてない」のかなと。
特にお勧めはしませんが、前回の記事の鉄道に乗ろうと思うと外せない場所です。
2泊ぐらいで気楽に訪れてみてはいかがでしょうか。。
ミャンマーの鉄道 これは本当にお勧め
今日はメイミョーからシーポーって場所へ移動した話です。
この区間は一日に一本列車がありますが、これは絶対に死ぬまでに経験すべき場所です。めっちゃお勧め、これに乗る為にミャンマー行ってもいいくらい。
メイミョーからシーポーは距離はそんなに無いのですが、保線や車両状態が良くないのでゆっくり走ります。バスもあるみたいですが、絶対に列車に乗るべき!
駅は町の中心部から少し離れてますが歩いて行ける距離です。
もちろんディーゼル機関車での運転
ここからは少し駅の写真を
海外の駅はホームが低いのがいいね
メイミョーじゃなくてピンウールウィンなんやね
標準軌のようです
子供もタナカ塗ってる
可愛いタナカも似合ってる
車内はこんな感じ
発車した。今まで数万回と鉄道に乗ってきたけど、初めて
「縦揺れ」を経験した。おそらく線路が悪いのだろう
車内は現地人が多くのんびりした雰囲気
これも最高に良かった
見て、アバラが浮いてる
途中の駅
この列車は現地人の荷物運搬にも使われます
おお見えてきた
これですよ、これ!
今からこの橋を渡ります
さあ行くぞ!
その前に人による信号場
おそらく風速が絡んでるのだろう
停車中
いよいよだ!
ゴッティ鉄橋。1903年にイギリス統治時代に作られた橋
世界で二番目の高さの橋で100m超え
余部の比じゃない凄さです
凄い高さでしょ、写真撮る時に手が震えたもん
昔は下を走ってたのだろうか
廃線が見えた
ゴール間近
後ろには貨物車を連結してました
ゴッティ鉄橋を無事に渡り列車は進む
途中の停車駅
この駅では列車交換の為1時間ほど停車してた
列車は進む
途中の停車駅にて
保線状態はかなり悪そう
ここからは復路のシーポー発の写真です
みんな器用やね
これは一等車いわゆるファーストクラス
こっちの方が快適だけど現地人は皆無
間違いなく二等がお勧め、ミャンマーの良さを体感出来ないからね
やっぱ客車列車はかっこいい
見てこの雰囲気、間違いなく二等に乗るべき
車輪が多いのが特徴やね
途中駅にて、産まれて間もない子犬がいた
こんな硬いところで寝てる、、
この仔が今でも健康に暮らしてる事を祈ります
途中の車内販売で買ったパン、甘すぎた
この男の子との出会いも鮮明に覚えてる
偶然に席が通路挟んで隣だった、ただそれだけだった
お母さんに頼んで車内販売のお菓子を買ってもらってた
子供はやっぱりお菓子好きなんやなーと思い見てた
車内販売のお菓子を無事に買えた彼がとった行動は、
その買ってもらったお菓子を俺にくれた
英語も通じない、もちろん日本語も話せない
言葉の壁を超えた人間どうしの繋がり
何の縁もない俺にくれた優しさ、マジで涙が出た瞬間だった
頑張って手を振った後にもう一度泣きました
鉄道の楽しみ、現地人の生活や人の温もりを最大限感じたこの鉄道旅。
ミャンマーの良さって言うより現地人の優しさを凄く感じた。
難しいけど擦れずにこのまま国が発展して欲しい。
ミャンマーに1ヶ月滞在してたけど、個人的に一番思い出に残ってるのはここでした。
大げさな話では無いけど、人生で5本の指に入る幸せを時間した。
恐らくこの瞬間は死ぬまで忘れません。
ミャンマーの避暑地メイミョー
先に言いますリスグラシューごめんなさい。
さて今回は旅のネタに戻りミャンマーの続きを。
日本人はあまり知らないであろうメイミョーと言う町です。
メイミョーはピンウールウィンとも呼ばれてますが、ここではメイミョーにします。
この場所は標高1100mでイギリス統治時代には避暑地とされていて、確かに40度も当たり前のミャンマーにとっては絶好の避暑地です。
ニャウンシェからメイミョーまでは夜行バスで移動しました。
到着したはいいけど、海外あるあるのバスターミナルが郊外で自分が今どこにいるのかわからない状態。simも挿してなかったし現地の人に聞くしかないのですが、ここにきて凄い事を知りました。
「ミャンマー人は地図を見れない」
あらかじめスクショしてたGoogleマップを見せて道を訪ねたのですが、皆?マークでした。恐らく地図を見たことがないのでしょう。
縮尺はもちろんのこと、位置関係や地形も理解してないように思えました。
こんな経験は初めて。2019年の今はどうかわかりませんが僕が行った時は一人も地図を理解してるミャンマー人はいませんでした。
(ヤンゴンは別かも、聞く機会が無かった)
中心部まで行くのにめっちゃ苦労しましたが、途中で声をかけてきた現地人がいてバイクで中心部まで送ってくれるとのこと。
用心はしましたが、何より自分がどこにいるのかわからない状態だったので思い切ってバイクに乗せてもらうことにしました。
そしたら中心部に着いたら降ろしてくれ、困ったら連絡しておいでと自分の名刺を渡してきました。しかもチップも請求せず何も言わず去って行きました。
本当に偶然なのかこの国は皆優しいです。もう感謝しかない。本当にありがとう。
メイミョーは避暑地なので何もしなくても良い環境ですが、せっかくなので色々見てきました。それでは写真載せていきます。
名前忘れたけど中心部から東へ行った大きな公園。
凄く良い場所だったけど地元の人しかいなかった。
寺院もある
地元の人はプール感覚で使ってるみたい
伝統の民族衣装
ロンジーって言います
大名行列かよw
彼は何を想ってるんだろう
派手なシャツ
翌日はメイミョーで一番有名な観光スポットに行った
カンドーチー公園って読むのかな?
Kandawgyi Gardensってとこ
植物園と公園が融合した感じ
綺麗
何コレw
ここからは公園内の雰囲気などを
凄い良い時間だった。
5時間くらい滞在してました。
翌日は滝を見に行った。
チャリで行ったのだが大失敗このような悪路と急斜面の連続
幼い子は運んでもらう程の険しい道
ようやくだどり付いた
うん、美しい
水が本当にエメラルドグリーンだった
いや本当に最高の環境で、滝を見ながらずっとお気に入りの音楽聴いてた
ここに居た唯一のツーリストは泳いでたw
現地人も音楽聴いてた
そうしたくなる環境なんかね
子育てお疲れ様
最高の時間を過ごし帰路に着く
中心部から滝までは往路は下りがほとんど
もちろん復路はその逆で上りばっかり
チャリ漕ぎながら死にそうになった、途中から真っ暗だし大型トラックが爆走で抜いて行くし本当に泣きたかった
余裕が無かったので道中の写真ないです
滝へ行く人は絶対にバイクにするべき
翌日は中心部を散歩
個人的に好きな一枚、米屋に住む雀w
中心部の市場
綺麗な教会
この子との出会いはめっちゃ覚えてる
町の写真撮ってたら声をかけてきた。
そしてお菓子や飲み物をくれた、売店の息子だったようで何か買って!と言うのかなと思ってたけどそうじゃなかった。
無垢な気持ちで僕にお菓子と飲み物をくれた。
犬もめっちゃ懐いてきたし、自分の汚れた心が凄く洗われた気がした。
ミャンマーはこのような出会いが多かった。
彼は今どこで何してるのだろう、凄く気になる。
そんなメイミョーの町
イギリス統治時代の名残やね
図書館か何か、
本当に美しい町でした
これでメイミョーのネタは終わり。
ここは個人的にめっちゃお気に入りの町になりました。
気候も良いし人も良いし居心地が最高だった。
唯一の懸念材料は食堂が少ないことと、町が寝る時間がとても早いこと。
21時にはどこのお店も閉まってますし、お酒を買うとこも飲む場所もない本当にゆっくりする町。
僕は酒をたくさん飲みたいので、このような町は本来お気に入りになるなど考えられないのですが、ここは別。
本当に今でも懐かしいですし行くチャンスがあったら行きたいです。
ああメイミョー。紹介してませんが現地の人と色々話して中国製のバイクが2万円ほどで買えるよ!とか色々な人と出会いました。
その皆が今幸せに元気で暮らしてる事を願ってます。
本当に良い町メイミョーでした。
次もミャンマーにします、久しぶりの鉄道ネタです。